と、タイトルの通り今回は「葉月」について。
私の従姉姪に葉月ちゃんがいるので親しみのある旧暦名です。
カレンダー眺めてみると今年(2016年)の旧暦8月1日は9月1日にあたります。秋ど真ん中。中秋です。
最古の文献は日本書紀
皐月を調べたときは全くと言っていいほど資料が見つからなかったので当て推量のような記事になりましたが、「はづき(はつき)」はちょこちょこと文献にその名を残しています。
現在、最古の資料は日本書紀の神武天皇東征のくだり、「八月 甲午 朔 乙未」という記述があります。
八月を「はつき」と読ませているようです。
余談ですが、「八月甲午朔乙未」を現代訳すると「8月2日」になります.
よみ方としては 『8月 :(”8月”に対する補足として)1日が”甲午”である月: の “乙未”の日』という流れ。
実に面倒くさい。
*朔は1日のこと。今でも朔日やら使います。甲午やら乙未やらは干支の名前で日を表しています。ごちゃごちゃ書いているカレンダーなら今でも書いているはずです。
さて、「はつき(はづき)」の言葉が古くから存在していたことは判明しましたが、「葉」の意味や由来がこれでは不明です。
はおちづき
葉月の由来に関する記述があるとして名前が上がるのが、「奥義抄」と「類聚名物考」。
「奥義抄」は藤原清輔が編じた源平合戦の頃の歌学書。それに対して「類聚名物考」は江戸時代後期の百科事典のようなものなので、伝聞の少ないのは古いほうだろうと奥義抄を参考にしてみます。
奥義抄によると葉月は、『秋になり木々の葉が枯れて落ち始める月』。”はおちづき(葉落月)”だったのが短くなって「はづき」になったとあります。
どうやら何か特定の「葉」ではなくて、広義の「葉」だった模様。
神話時代の八月だったら何の葉っぱが落ちてたんでしょうね。
銀杏の木は、、まだ入ってきてないかな。
藤原清輔
蛇足ですが、藤原清輔といえば百人一首にも登場してます。
「永らへば またこの頃や しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき」
父親と仲が悪くて出世コースに乗れず、ようやく天皇陛下に和歌集の編纂を任せられたと思ったら、完成前に天皇陛下が御崩御なさり「勅撰和歌集」として出すことは出来なかった。。
と、とにかく苦労人の清輔ならではの歌。
「つらかったあの頃のことを今では懐かしく想うように、今のこの苦しさを懐かしく思うときが来るのだろうか。 」(私なりの意訳)
人が思うことは時代が変わっても一緒です。きっと共感する人も多いでしょう。
とりあえず私も頑張ります。
ではまた